指示以外のことをしてしまう

 

夫の実家は祖母が細々と野菜を作っており、必要分以上を収穫してはこちらにおすそわけ(という名の押し付け)してくる。

 

夏にはひたすらししとうときゅうり。

茄子がたまに。

冬には大量の大根と虫食い白菜、虫食いほうれん草。

全く求めていないし、消費しても消費してもまた玄関先に置いていかれる、あるいは家族想い(血縁のみ)な夫が持って帰ってくる。

いい加減飽きるし、土まみれ虫がいる、形が悪い…調理に手間も時間もかかるので、心底要らないのである。

 

しかし前回書いたように「せっかくくれるって言ってる物を受け取らないのは家族としてどうなのか」理論で、夫が引き受けてしまう。

 

辛い。

 

なのでせめてもの譲歩として、必要になれば「◯◯をもらってきてくれ」と頼むから、そうでない時は断ってくれ、と伝えた。

 

特にこの冬は私の体調もメンタルの調子も思わしくなく、極力負担になることを避けてくれ、と夫には懇願した。

義母と義妹にも「しばらく日持ちする菓子や海苔、酒以外受け取れません」宣言をしたからか、ここしばらくは野菜を始めとする生物のおすそわけ(という名の押し付け)はなかった。

 

少し落ち着いたし、大量に押し付けられて処理に困り冷凍していた野菜も徐々に減ってきたので、昨日夫に久しぶりに野菜の引き取りを許可した。

 

「大根1本ならもらえます」

 

実家に帰っていた夫が帰宅後、玄関に無造作に転がる葉付き大根。

台所になぜか積み上げられた保冷剤。

冷凍庫を確認するとジップロックに入った大量の刻みネギ。

 

これは大根なのか?

大根1本とは?

 

なぜ指示にないことをしてしまうのか。

「要らなければ妹にあげるから!

まあ妹の家には刻んでないネギが大量にあるけど!」

 

それはどういうつもりで言っているのか。

一度夫が受け取った物を家に帰ってから別の所に回す=私が拒否したことがバレバレなことは理解しているのだろうか。

そして妹にあげればいいといいながら、妹も大量のネギをもらっているという情報を付け加えるのはなぜなのか。

その情報を得た上で「でも要らないから妹さんにあげる」と言える神経があれば、私はこんなにストレスを抱えていない。

 

結局冷凍庫には大量の刻みネギがある。

刻みネギというが1cmを超えるまぁまぁ大ぶりの刻みネギである。

使い勝手は非常に悪そうだ。

しかも物価高、鳥インフルエンザの影響でしばらく卵を買えていないので、頼みの綱の玉子焼きにも出来ない。

 

さて、火曜日はゴミの日だ。

SDGsより我が心の安寧を優先すべきかどうか決断する時間は短い。

おすそわけ文化

食べ物のやり取りについての考え方

 

私は自分の食べたい物を自分の食べたい分だけ用意したい。

育ってきた環境のせいかもしれない。

 

母親は看護師の資格を持っていて、看護師ではないがその資格が生かせる健康に関わる仕事に就いていた。

夕飯は野菜多め品数多め使われている材料の種類も多めなメニューだった。

 

共働きな上に母親は家事が苦手だったので、手の込んだ料理ではなかった。

子どもの私が手伝うのは“家族の一員”として当たり前で、厳密に言うと「手伝う」のではなく「共に料理する」という考え方だった。

それゆえ小学生の私にも出来る調理過程は私の担当だった。

 

上記の“いろいろ多め”メニューと“手の込んだ料理ではない”料理という条件が合わさった結果、だいたい炒め物と京都でいう「炊いたん」がほとんどで、更に大皿にドーン、がデフォルトだった。

 

大皿に盛られた料理はそれぞれの好きなもの食べるペースによって偏った減り方をしていく。

好きなものはいち早くキープして食べなければ無くなってしまう。

 

他の人のために残すという概念はなく、まさに早い者勝ちだった。

その割にきちんと食べきらなければならない上に全員でごちそうさまだったので、食事の終盤は誰が何を食べきる担当かの伺い合いだった。

小学生の頃はまだいい。

中学生になり、電車通学、部活で帰宅が遅くなると、家族の食べ残ししか食卓にはない。

野菜が好きな家族だったので、部活後に帰宅したら、青椒肉絲がただの甘味噌肉炒めになっていたことは鮮明に覚えている。

そして大皿の上に点々と残った肉や野菜カスを黙々と浚えて食べていた。

 

 

それゆえに私は「自分の食べたい物を食べたい分キープしたい」(そして食事は食べきれる量を用意する)という思いがとても強い。

 

補足すると、食事のタイミングでしっかり食べることが基本で、食後にお菓子を食べる、夜食を食べる、間食をする、というのはタブーに近かった。

親に叱られるのでこっそり味付けのりを夜中に食べていたら、たまたま起きてきた親にバレ、「妖怪海苔食べ」と叱られた後ことあるごとにからかわれた。

 

 

 

結婚した相手の家庭は真逆だった。

個人ごとに定食方式で料理が出てくる家だった。

母親(私にとっての義母)は料理の端切れ見栄えの悪い部分の寄せ集めを台所で食べていた。

まさに田舎の世襲制度が残る大家族のあの感じ。

そして自分の好きな分だけ食べたら皿に残っていようがほったらかして離席する。

それを母親が片付け、果物を剥いて出す。

その果物をまた銘々が好きに食べ、残った分は母親が台所で食べる。

そして極めつけに茶色い器に盛られたせんべいやスナック菓子、クッキーが出てきて、また銘々が好きに食べる。

 

衝撃だった。

 

そんな環境で育ってきた夫と前述したような家庭で育ってきた私。

まぁいろいろあった。

 

そして結婚して13年経つ今、未だに価値観のズレを感じるのが「おすそわけ」についてである。

 

夫の家庭は三世代でMAX時には7人家族だった。

更にご近所とも家族ぐるみでのお付き合いがあり、親戚や友人も頻繁に訪れる家で、常に食べ物が溢れていた。

溢れていようが、関わる人数が多いので「おすそわけ」で消費されていった。

ゆえに食べ物は数を考えずとにかく適当に用意して、余ったら誰かに「おすそわけ」する物なのだ。

 

結婚後、義母の手作り料理のおすそわけ、義祖母の作った野菜のおすそわけ、お客様用に買った肉のおすそわけ、御中元御歳暮のおすそわけ…

こちらの意向は関係なく、玄関前に置き去りに、あるいは断らない息子(私の夫)を召喚して持って帰らせる。

 

拒否権はない、というかこちらが「断る」という発想がないのである。

なぜなら、食べ物がいくらあろうと“何とかなる”家の人間たちなので、少食で尚且つ野菜多め品数多め材料の種類多めのメニューを必死に考えて毎日やりくりしているこちらにとって、予定外の食べ物が負担になることが理解出来ないのである。

 

「要らなければ誰かにあげてね」

なのだ。

 

新婚夫婦で周りには知り合いも居らず、早婚で友人はまだ大学生ばかり。

誰にあげろと…

というか誰かにこの負担をたらい回しにもしたくない。

 

これがものすごく負担でストレスで止めて欲しい、せめて事前に要るか要らないかだけでも聞いてくれ、と主張し続けて13年。

 

おすそわけ攻撃が止むのは、主張してからもって1ヶ月早ければ1週間である。

 

夫にも冷静に説明したり泣いたり怒ったりあの手この手で状況の改善を頼んだが…

 

「せっかくくれるって言ってるのを断る俺もストレス」

「家族の厚意を受け取らないのは家族じゃない」

「要らなければ捨てよう」

 

ではお前が捨てろ!!!!!!

もらってきて冷蔵庫に入れて忘れる、机の上に置いて放置。

 

結局何とかするのは私

 

本当に辛い。

まだまだ吐き出したいことはある。

この「おすそわけ」についてまだまだ語れる。

「一口ちょうだい」問題とかにも繋がるので、まだまだ…本当にまだまだたくさんある。

 

今日はとにかくいろんなトラブルのベースになる価値観の違いについて吐き出したところで、終わりとする。